有名なのかどうかなのなんて気にもしない
「それ」が名の知れたブランドなのか、モノであるのか。
そんなことは少しも気にはしない。
興味もない。
例えばTOYOTAの車が世界で有名であり人気があったとしても、だからといってそれがTOYOTAを選ぶような理由に僕にはならない。
同調という意識もない。
偶発的なものであればそれは良い。
結果だから。
そういった意味では古着なんてのは良いような気がする。(今ではブランド古着なんてのもあるらしいけど、そういうのではなくて)
時間の洗練を受けたモノたちが、今もそこでは息を潜めている。
自在に好きなモノを選べばいい。
ただし、それでは足りないことも多い。
だから人は、僕は時に新しいモノをこの世に産み落とすのだろう。
自分の目で見たモノ、見た世界。
触れたモノ、触れた世界。
伝導と伝播。
この錆びて細いワイヤーの糸を伝っていくように、僕は誰かにこの想いを伝えようとしているのだろう。
まるで糸電話のようだ。
ピンッと糸を張らないとこの声の震えはきっと届かない。
web store へいくつかの新しい商品をアップした。
もう数点まだここから1週間ほど掛けてアップしていく。
あまりにノロマと言われそう。
それももう疲れた。
僕は僕のリズムとスタンスで自分が立つステージへとあがりたい。
待ってもらえないならそれもまた実力。
さて、実力をあげるために。
努力をする。
死ぬほどの。
ここから先はさらにイバラ道。
上等だ。
憧れも僥倖もふっ飛ばして僕は向かう。
気がつけば。
これまでも。
これれからも。
気にしない。